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T038 利潤率の傾向的低下 p'の上限 2

第二節 生産の拡大と価値増殖との衝突
II. Konflikt zwischen Ausdehnung der Produktion
und Verwertung

----------§1------------q
+1-1-----
 労働の社会的生産力の発展は二重に現われる。
Die Entwicklung der gesellschaftlichen Produktivkraft der Arbeit zeigt sich doppelt:
第一には、
すでに生産されている生産力の大きさに、
新たな生産が行なわれるための生産条件の価値の大きさと量の大きさとに、
そして、すでに蓄積されている生産資本の絶対量に、現われる。
Erstens
in der Größe der schon produzierten Produktivkräfte,
in dem Wertumfang und Massenumfang der Produktionsbedingungen,
worunter die Neuproduktion stattfindet,
und in der absoluten Größe des schon akkumulierten produktiven Kapitals;
第二には、
労賃に役ぜられる資本部分が総資本に比べて相対的に小さいということに、
すなわち、与えられた資本の再生産と価値増殖とに必要な、つまり大量生産に必要な、生きている労働が相対的に小さいということに、現われる。
zweitens
in der verhältnismäßigen Kleinheit des im Arbeitslohn ausgelegten Kapitalteils gegen das Gesamtkapital,
d.h. in der verhältnismäßigen Kleinheit der lebendigen Arbeit, die zur Reproduktion und Verwertung eines gegebnen Kapitals, zur Massenproduktion erheischt ist.
これは同時に資本の集積を前提する。
Es unterstellt dies zugleich Konzentration des Kapitals.

+1-2-----
 充用される労働力に関しても生産力の発展はやはり二重に現われる。
Mit Bezug auf die angewandte Arbeitskraft zeigt sich die Entwicklung der Produktivkraft wieder doppelt:
第一には、
剰余労働の増大に、すなわち労働力の再生産に必要な必要労働時間の短縮に、現われる。Erstens
in der Vermehrung der Mehrarbeit, d.h. der Abkürzung der notwendigen Arbeitszeit, die zur Reproduktion der Arbeitskraft erheischt ist.
第二には、
与えられた資本を動かすために一般に充用される労働力の量(労働者数)の減少に現われる。
Zweitens
in der Abnahme der Menge von Arbeitskraft (Arbeiterzahl), die überhaupt angewandt wird, um ein gegebnes Kapital in Bewegung zu setzen.

----------§2------------q
+2-1-----
 この二つの運動は、ただいっしょに進行するだけではなく、互いに制約し合っており、同じ法則がそこに表現される二つの現象である。
Beide Bewegungen gehn nicht nur Hand in Hand, sondern bedingen sich wechselseitig, sind Erscheinungen, worin sich dasselbe Gesetz ausdrückt.
(+2-1-0)--------▼▼▼▼▼▼▼▼
とはいえ、それらは利潤率にたいしては反対の方向に作用する。
Indes wirken sie in entgegengesetzter Richtung auf die Profitrate.
利潤の総量は剰余価値の総量に等しく、利潤率は m/C = 剰余価値/前貸総資本に等しい。
Die Gesamtmasse des Profits ist gleich der Gesamtmasse des Mehrwerts, die Profitrate m/C = Mehrwert/Vorgeschoßnes Gesamtkapital.
ところが、剰余価値は、
総額としては、
第一には剰余価値率によって、
第二にはまたこの率で同時に充用される労働の量によって、
または、同じことであるが、可変資本の大きさによって、規定されている。
Der Mehrwert aber,
als Gesamtbetrag,
ist bestimmt erstens durch seine Rate,
zweitens aber durch die Masse der zu dieser Rate gleichzeitig angewandten Arbeit,
oder was dasselbe, durch die Größe des variablen Kapitals.
一方では、一方の要因、剰余価値率が上昇し、
Nach der einen Seite hin steigt der eine Faktor, die Rate des Mehrwerts;
他方では、他方の要因、労働者数が(相対的または絶対的に)減少する。
nach der andren fällt (verhältnismäßig oder absolut) der andre Faktor, die Anzahl der Arbeiter.

+2-1-a--------▼▼▼▼
生産力の発展が充用労働の支払部分を減らすかぎりでは、
それは剰余価値率を高くするので剰余価値を増大させる。
Soweit die Entwicklung der Produktionskraft den bezahlten Teil der angewandten Arbeit vermindert,
steigert sie den Mehrwert, weil seine Rate;
しかし、
その発展が、与えられた一資本によって充用される労働の総量を減らすかぎりでは、
それは、剰余価値量を算出するために剰余価値率に掛ける因数を小さくする。
soweit sie jedoch die Gesamtmasse der von einem gegebnen Kapital angewandten Arbeit vermindert,
vermindert sie den Faktor der Anzahl, womit die Rate des Mehrwerts multipliziert wird, um seine Masse herauszubringen.
+2-1-b--------
一日に12時間労働する2人の労働者は、
それぞれたった2時間だけ労働する24人が供給するのと同じ量の剰余価値を供給することはできない。
Zwei Arbeiter, die 12 Stunden täglich arbeiten,
können nicht dieselbe Masse Mehrwert liefern wie 24, die jeder nur 2 Stunden arbeiten,
仮りにこの2人が空気だけで生きて行けて自分自身のために労働する必要はまったくないとしても、そうである。
selbst wenn sie von der Luft leben könnten und daher gar nicht für sich selbst zu arbeiten hätten.
だから、この点では、労働者数の減少を労働の搾取度の増大によって埋め合わせることには、ある越えられない限界があるのである。
In dieser Beziehung hat also die Kompensation der verringerten Arbeiterzahl durch Steigerung des Exploitationsgrads der Arbeit gewisse nicht überschreitbare Grenzen,
それゆえ、このような埋め合わせは、利潤率の低下を妨げることはできても、それを解消することはできないのである。
sie kann daher den Fall der Profitrate wohl hemmen, aber nicht aufheben.
▲▲▲▲
K3 257




---------異訳--------(+2-1-a--------▼▼▼▼以降の部分)
生産諸力の発展は,充用労働の支払部分を誠少させるかぎりでは,剰余価値率を増加させるがゆえに剰余価値を増加させる。だがそれは,与えられた一資本によって充用される労働の総量を減少させるかぎりでは,剰余価値量を算出するために剰余価値率に乗ぜられる数という因子を減少させる。1日に12時問の労働をする2人の労備者は,たとえ,空気を吸って生きることができ、したがって自分自身のために労働することを全く要しないとしても、おのおのが2時間しか(剰余の)労働をしない24人が提供しうるのと同一分量の剰余価値を提供することはできない。だからこの関係では,労働の搾取度増大による労働者数減少の補償には,超えることのできない特定の限界がある。だからこの補償は,利潤率の低落を阻止しえても止揚することはできない。

→E043 傾向的低下 数学的手法と理論的叙述

→T037 利潤率の傾向的低下 p'の上限
→T037 利潤率の傾向的低下 p'の上限(別の窓で開く)

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