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9月, 2009の投稿を表示しています

L017 人類に可能なこと 人類の若さ

▽「人類は自然のチャンピオン」と思うにいたった、地表の人類が、    再び 外界を見つめ始めているが、 ▼人類は若い  可能性 若さ故に膨大な可能性を秘めている。   ・未来社会の意義     未来社会が本史   ・これまでの歴史の意義     前史   ・現在の意義     前史から本史へと移行する稀有な時期 ○○ - - -人類史全体がまだどんなに若いか、そして、我々の今日の見解をなんらかの 絶対的な妥当性をもつもののように考えることがどんなに笑うべきことであるか がわかる   「反デューリング論」 P177L+5 '76-'78(-'94最後の序文) ○○ 人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する   「批判」序言 '59 →L022 L022 思考は我々の宇宙を決して逸脱しない ○○  われわれはここで、このような見方が今日の自然科学の状態と完全に一致するかどうかという問題に立ち入る必要はない。 それは地球の存在そのものに終わりがあるかもしれないこと、   そして 地球上に人間が住める状態に終わりがあることはかなり確実であること予言しており、   したがって 人 類の歴史にものぼり道だけでなく、くだり道があることを認めている 。 それはとにかく、 われわれは、 社会の歴史が下降し始める転換点からまだかなりへだたっている し、 ヘーゲル哲学に当時の自然科学がまだまったく議題にのせていなかった題目をとりあつかうことを期待することはできない。   「FB論」 P18L-8 '88 ○○ 人類が少くとも今のところ大体において進歩の方向に動いているという信念   「FB論」P43 →T032 哲学のそと  シュタルケのかんちがい →L021 人類は自然のチャンピオン と 観念論

L016 弁証法(的関係) 弁証法も若い

弁証法的関係とは ◇  事物の関係の仕方の抽象 である。   様々のものは、様々な関係を持つのだが、   その関係の仕方から具体性をそぎおとして、   「諸関係の間に   一般的な、普遍的な、共通する」関係の仕方を   抽出した結果が、弁証法的関係である。(としよう。)  ▽様々な事物とは、   世界のすべての事物を目指すのだが、   すべてを(過去、現在、とりわけ未来の)、知ることはできない。   のだから、    抽出される「弁証法的関係」は、以下の時には、変化する(べきだ)。     ・知られなかったことが知られるようになる。     ・新しい現実が生じる。     ・これらが、「この抽象」の矩(のり)をこえる ▽人類は若い。  →   その知的到達も若い。   弁証法も若い。   ◇ 知られている事物の関係から抽出した「弁証法的関係」     によってのみ、未来を予測することには、慎重でなければ。      また、   ◇ 新たな知識によって、「この抽象」を妥当なものへと      強化することが     いつも、意識されていなければ。      この抽象は、いつも批判にさらされていなければならない 。      そうでなければ、「弁証法」は桎梏と化す。 ◆だが、これを 利用しない手はない 。     殺風景な諸事実が、      生き生きとした事柄として見えるようになることがしばしば。     ある時点をとらえた無味乾燥な「数字の羅列」が、      躍動し始めることが・・。  ◇ どこかで、だれかが、いったような・・   「 人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する 」  →    自分で解決しうる課題を課題とするものだ。ともいえる。    ・人間が自分に提起する課題は、人間が関わることによって      生じる課題以外にはありえない。     知らない事実からうかび出る「法則」などない。    ※「夢」という疑似体験から生じる「法則」      ならあるかもしれないが、       それはせいぜい正真正銘の「神学論争」上の法則だろう。       「夢の体験」が意義をもつのは、        「夢」を生じさせる現実が対象とされるときだけだ。    ・関わってきた体験から明かになった「法則」は、      妥当である可能性を持っている。 ☆...

E040 投機による資本の毀損を許さないための社会的指導

■「資本」の社会性   大規模な資本は強い社会性を持つ。(私的領域から、はみ出している)    ということは、    立場の違いを越えて、社会のおおかたの合意 となっている。    税を注入する。    (社会性を持つ資本を選んで。、研究開発費用 直接間接の公的支援)    ということは・・ ◆ 投機の規制。視点の拡張。    マネーゲームの抑制という視点 に加えて     資本という社会的資産の毀損を抑制する  という視点        (社会が資本をまもる) △ つまり、そのために、   投機構造のサプライヤを規制すること に加えて    投機主体の行為を規制すること      は?   (社会として。企業内の運営として。 企業内実務部隊の役割 。)   (生産機能を担う資本の流出は当然として、とりわけ過剰資本の毀損)        

E039 消費でなく投資へという思い込みが経済の破綻をまねいた

◇国民の資産、貯蓄などをどこにむけるか・  「消費でなく投資へ」!?   投資と消費ではない。「消費ではなく」!! △ 「ただの数値目標」を成長「政策」と言い張って、はずかしいとも思わない政党幹部は上のように言う。 △ 消費政策は、経済政策ではないという思い込み。   誰に教えられた訳でもないのだろうが、身についた感覚はどうしようもない? ◇ この思い込みが経済の破綻を招いたことが明るみに出ている、まさにその時に、くりかえされるすりこまれた教説。    幹部のしたり顔には、思わず目をふせたくもなる。   「資本主義」とは言い得て妙。まったく資本の代理人らしい。 ◆ 結局、資本の代理人は、資本をまもりえない。   資本の守護者を担うのはだれか?     社会が犠牲を伴いながら積み上げてきた資本をだれが守るのか。 ◇ 生活の縮小にささえられた 社会的生産の拡大    その「果実」は再び投資へ。余剰は生活にはいつまでもまわらない。    購買力、いっそうの低下。過剰生産の循環。   ◆ 生活と生産 、   両者をを対立させて片側を絶対視することが、経済の持続可能性を決定的に損なう。    一モメントにすぎない「国際競争力」を金科玉条に祭り上げて拝跪する。    不況、恐慌→資本の毀損   両者の適正なバランスは、    経済の健全な発展のもっとも基礎的な土台      そもそも生産の目的は消費。 ■ 消費へ!! という経済的理性と知性    資本に理性や顧慮が内在しないなら、    社会的意志(政策、「運動」)が担うほかはない。    資本に委ねれば、消費ではなく、投資へ。'08年を上回る破綻へ。