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2月, 2009の投稿を表示しています

T029 「大和魂」 苦沙弥先生,手製の名文

吾輩は猫である 1905年              夏目漱石  ・・・・・苦沙弥先生・・・・・手製の名文を読み始める。 「大和魂(やまとだましい)! と叫んで日本人が肺病やみのような咳(せき)をした」 「起し得て突兀(とっこつ)ですね」と寒月君がほめる。 「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸(すり)が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸(ドイツ)で大和魂の芝居をする」 「なるほどこりゃ天然居士(てんねんこじ)以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。 「東郷大将が大和魂を有(も)っている。肴屋(さかなや)の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師(さぎし)、山師(やまし)、人殺しも大和魂を有っている」 「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」 「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」 「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」 「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」 「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。 「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇(あ)った者がない。大和魂はそれ天狗(てんぐ)の類(たぐい)か」  主人は一結杳然(いっけつようぜん)と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽(かろ)く「うん」と答えた。

T028 武士道 と本源的蓄積  「新渡戸稲造」とマルクス

「日本の封建制」を、マルクスが「資本論」の中で正当に指摘してくれている  それはペリーの「訪問」から十年よりも後。  それ以前の「日本観」が不正確だとしても、無知によるものだからやむをえないことだ。 (新渡戸稲造著 「BUSHIDO」(武士道)の第1章から) BUSHIDO , THE SOUL OF JAPAN by INAZO NITOBÉ Author's Edition, Revised and Enlarged 13th EDITION 1908 (初版 1900? 初版への序文の日付は1899) More than a decade later, about the time that our feudalism was in the last throes of existence, Carl Marx, writing his " Capital ," called the attention of his readers to the peculiar advantage of studying the social and political institutions of feudalism, as then to be seen in living form only in Japan. この直前を以下に ----------------------- It argues a sad defect of information concerning the Far East, when so erudite a scholar as Dr. George Miller did not hesitate to affirm that chivalry , or any other similar institution, has never existed either among the nations of antiquity or among the modern Orientals. Such ignorance , however, is amply excusable, as the third edition of the good Doctor's work appeared the sam...

E032 『議会』と「土台」 『議会』とは特別なモメント

◇議会の現実の役割   ▽果たしてきた役割   ▽果たしている役割  □「政権の性格に規定されつくさない」政権の行動、その背後にある『議会』   『議会』は<政権の性格を規定しながらも>、        <この性格に規定されつくさない「政権の行動」を規定する>         理念というのではない。実際に。  ◆「上部構造の反作用」だけでは説明できない「議会」の特別な性格 土台(=経済社会)そのものの「運動」を直接に反映する側面  上部構造としての「独自性(・反作用)」にとどまらない。 あるいは、  上部構造なのだが、<◆土台の一契機◆>でもある。 あるいは、さらに、   人類社会の <◆構造の主要な(独立した)モメント◆>。 ※現代ではあたり前。  歴史的に変遷を経てきたことがら。  伝統的な規定と実態は十分にマッチしているか?   「原理」(公理)が真理をゆがめる・・・   「定義」の「停滞姓」・・・      ・・・"Anti-Dühring" 「公理主義」批判 → E035 議会はただただ「上部構造」じゃなさそうだ

L013 物理学のこれから。 キーワードは『存在』

Iさんの問題提起。  ノーベル物理学賞の波紋。 ▽「『たとえば質量』とは切り離せないイメージ」として、「物質」が考えられてきた。(考えてきた) □しかし、対象は、「これまでの『物質』というイメージ」ではとらえられなくなってきた。   ■対象は、「物質」から「存在」へとシフトしてきたといえるのでは?    △質量とは。存在の属性のひとつ。    △「自然を構成するある『ことがら』=『存在』が、存在の実体をなす」というような、(たとえば「超ひも論」のような)検討がすすんでいる。  など。 ところで、 ▽聞けば、「唯物論と観念論」、「物質と意識、いづれが本源的か」という、「哲学」にかかわるテーマがあるようだが、    ◇上の視点から、このテーマにせまってみると、 ■  本源的な「存在」とは、次の3つ、     「ことがら」、「物質」、「意識」    のうちいづれか。    というように整理するとよいのかもしれないよ。    「唯物論」というより「唯事論」ということになるのかな? ※ 最接近する彗星をみたいけど「曇り」かな。 (※※   熱力学第二法則 エントロピーの増大 不可逆は疑問  ※※※   階層の無限 妥当  フラクタルなど・・ )

T027 百合子 と イエニー と カール・マルクス

カール・マルクスとその夫人 宮本百合子 一 カールの持った「三人の聖者」 ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。それは有名なライン河である。太古の文明はこのライン河の水脈にそって中部ヨーロッパにもたらされた。ライン沿岸地方は、未開なその時代のゲルマン人の間にまず文明をうけ入れ、ついで近代ドイツの発達と、世界の社会運動史の上に大切な役割りを持つ地方となった。早くから商業が発達し、学問が進み、人間の独立と自由とを愛する気風が培われていたライン州では、一七八九年にフランスの大革命が起った時、ジャコバン党の支部が出来、ドイツ人でフランス革命のために努力した人々が沢山あった。ナポレオンの独裁がはじまった時、ライン十六州は、ライン同盟を結んでナポレオンを保護者とし、その約束によって商工業の自由も守られ、ドイツの反動政策の圧迫にかかわらず、進歩的な自由思想が充ちていた。 こういう特色をもった十九世紀初頭のライン州、トリエルの市にハインリッヒ・マルクスという上告裁判所付弁護士が住んでいた。そこに、 一八一八年 五月五日 、一人の骨組のしっかりした男の子が産れ、カールと名付けられた。 マルクス家はユダヤ系であった。けれどもトリエル市のすぐれた弁護士であったハインリッヒ・マルクス一家の生活はかなりゆとりの有るものであった。父マルクスは十八世紀フランス哲学を深く学び、ディドロー(一七一三―一七八四)や、ヴォルテール(一六九四―一七七八)、悲劇作者ラシーヌの作品などから影響をうけていた。 青年時代のカールは、生活の自然なよろこびを心おきなく楽しみ、人づきあいも広く、勉強ずきだが、学資はいつの間にやらたりなくなっているという風なところがあったらしい。大学生同士の借金で相当困ったこともあったらしい。父マルクスは、こういう時に、息子にむかって適切な忠告や、親切な男親しか出来ない慰めや援助をあたえた。カールは、この父を真心から愛し、尊敬した。父の五十五回目の誕生日のとき、ベルリン大学にいた十九歳のカールはお祝として、それ迄につくった 四十篇の詩と、悲劇の一幕と、喜劇小説の数章 とをまとめて「永久の愛のわずかなしるしとして」この高貴な人がらをもつ父に贈った。或る人はいって...

E031 意志はイデオロギーから解放されるが「完全に」自由というわけじゃない

◆ 意志は、自己をイデオロギーから解放するのだが、    なにものからも自由なんじゃない。(只ただ、イデオロギーから自由)    ○対象化      ▽自己という現実の存在を対象とする。      ▽自己以外の現実も、対象となる。      □対象とは、現実そのもの      □「対象のない対象化」などありえない。      対象から出発するし、働きかける対象から、はなれない。      (「無」に働きかけるのではない)    ○このイデオロギーから解放された意志は、自己という現実を土台にして機能する    ▲この働きかけは実を結ばなければならない。      (不可能なことが可能になるのではない。) ■「イデオロギーの呪縛によって不可能とされること」をのりこえる可能性が生まれる。

E030 意志はイデオロギーをのりこえる

<未完 > ◆市場への拝跪≒イデオロギー(社会的意識形態)への拝跪 という 意志の否定  と、以下が共存する。  ▽「合理主義」への嫌悪     この「合理主義」は、イデオロギーに支配されたままの「理性もどき」だ。  △感性の絶対化、「意志」の超歴史的一人歩き  □真理からの逃亡。(やけくそで理性をなげすてる。)   ※上は現実の前にはもろい。再帰。循環。からのがれられない。     現在のような、劇的現実の前には、特別に・・ ◆意志はイデオロギーをのりこえる   そのとき、まずは、イデオロギーに支配される自己 をも対象化する。   イデオロギーに支配される自己を絶対化しない。    自己を合理的にみる。 ※自己がイデオロギーによって支配されて「自立」(独自の自己運動)する。      という現実があるがゆえに、意思は自己を対象化する。   「イデオロギーに支配されることによって対象化された自己」に対して   対象化されたものとして接する。 (理性は消滅しない)   こうして自己は主体として復権する。     ※ここから先(即自かつ対自)の一人歩き。--抽象が背理へと・・。     ※自然界でも、アミノ酸は、自己を対象化するところまで、高度に組織化される。       この「対象化する」という「意志の主体」も、アミノ酸としての自己に制約(規定)されるのだが、この規定性こそ「主体の運動」の原動力でもある。       → E031 意志はイデオロギーから解放されるが「完全に」自由というわけじゃない ◆「人間は労働からの解放に近づくべき」だが、   「労働が人間の疎外」だからじゃない。     自己の再生産、自己実現としての労働は実現できる。    それでも、その労働からの解放にむかう。   ◆観念論が「意志」を嫌悪し  唯物論が「意志」を賛美する 「おもいつき論」のSample

E029 「労働力の商品化」というテーゼは抽象である。 というテーゼ

「労働力」の持つ特徴、性格   いくつかあるが。   具体的に特徴付けるひとつの性格として   「商品(化)」   他の要素をはぎとってしまって   「商品化」という性格にのみ注目して扱う     --ここにこそ「抽象化をみる」こと。  「労働力が商品化する」と看取することが、抽象なのではない 労働力は、生産力にかかわる、主要なひとつの契機      同時に、意志の主体であること      これらを含む総体(実体、現実)としての労働力      生産力の主要な担い手(体現者)として、同時に意志を持つ   生産力にかかわる他の契機に対して、直接に対峙する意志の主体であること    これが、同時に商品であること    (生産に関する意志を持たないものとして対象化されること)