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T016 洪水よ!

経験が資本家に一般的に示すものは、一つの恒常的な過剰人口、すなわち資本の当面の増殖欲に比べての過剰人口である。といっても、この過剰人口は、発育不全な、短命な、急速に交替する、いわば未熟なうちに摘み取られてしまう何世代もの人間でその流れを形づくっているのではあるが, 111 もちろん、経験は、他面では、賢明な観察者には、歴史的に言えばやっと昨日始まったばかりの資本主義的生産がどんなに速くどんなに深く人民の力の生活根源をとらえてきたかを示しており、どんなに工業人口の衰退がただ農村からの自然発生的な生命要素の不断の吸収によってのみ緩慢化されるかを示しており、そしてまた、どんなに農村労働者さえもが、自由な空気にもかかわらず、また、最強の個体だけを栄えさせるという彼らのあいだであんなに全能的に支配している自然淘汰の原則にもかかわらず、すでに衰弱しはじめているかを示している。112 自分をとり巻く労働者世代の苦悩を否認するためのあんなに十分な理由をもっている資本が、人類の将来の退廃や結局どうしても止められない人口減少やの予想によって、自分の実際の運動をどれだけ決定されるかということは、ちょうど、地球が太陽に落下するかもしれないということによって、どれだけそれが決定されるかというようなものである。どんな株式投機の場合でも、いつかは雷が落ちるにちがいないということは、だれでも知っているのであるが、しかし、だれもが望んでいるのは、自分が黄金の雨を受けとめて安全な所に運んでから雷が隣人の頭に落ちるということである。{われ亡きあとに洪水はきたれ!}〔Après moi le déluge! 〕これが、すべての資本家、すべての{{資本家国}}の標語なのである。だから、資本は、労働者の健康や寿命には、社会によって顧慮を強制されないかぎり、顧慮を払わないのである。 113 肉体的および精神的な萎縮や早死にや過度労働の責め苦についての苦情にたいしては、資本は次のように答える。この苦しみはわれわれの楽しみ(利潤)をふやすのに、どうしてそれがわれわれを苦しめるというのか?と。しかし、一般的に言って、{これもまた個々の資本家の意志の善悪によることではない}。{自由競争が資本主義的生産の内在的な諸法則を個々の資本家にたいしては外的な強制法則として作用させるのである}。114

111 「過度に労働するものは、驚くべき早さで死ぬ。しかし、滅んでゆくものの席はすぐに再びふさがれて、登場人物はひんぱんに入れ替わっても、舞台に変化は現われない。」『イギリスとアメリカ』、ロンドン、一八三三年、第一巻、五五ページ。(著者はE・G・ウェークフィールド。)〔日本評論社『世界古典文庫』版、中野訳、六〇-六一ページ。〕
112 『公衆衛生。枢密院医務官第六次報告書。一八六三年』を見よ。これは一八六四年にロンドンで公刊された。この報告書は特に農業労働者を取り扱っている。「サザーランド州は非常に改良された州だと言われてきたが、最近のある調査が発見したところでは、以前はりっぱな男子と勇敢な兵士とであんなに有名だったここの諸地方でも、住民は衰えて貧弱な萎縮した種族になっている。海に面した丘の中腹で最も健康的な位置にあるのに、彼らの子供たちの顔は、ロンドンの裏町の腐った空気のなかにしかありえないほどやせていて青い。」(ソーントン『過剰人口とその解決策』、七四、七五ページ。)じっさい、彼らは、グラスゴーがその裏町や路地で売春婦やどろぼうといっしょに寝かせている三万の「勇敢なスコヅトランド高地人」["gallant Highlanders“"]に似ているのである。


<284> Was die Erfahrung dem Kapitalisten im allgemeinen zeigt, ist eine beständige Übervölkerung, d.h. Übervölkerung im Verhältnis zum augenblicklichen Verwertungsbedürfnis des Kapitals, obgleich sie aus verkümmerten, schnell hinlebenden, sich rasch verdrängenden, sozusagen unreif gepflückten Menschengenerationen ihren Strom bildet.(111) Allerdings zeigt <285> die Erfahrung dem verständigen Beobachter auf der andren Seite, wie rasch und tief die kapitalistische Produktion, die, geschichtlich gesprochen, kaum von gestern datiert, die Volkskraft an der Lebenswurzel ergriffen hat, wie die Degeneration der industriellen Bevölkrung nur durch beständige Absorption naturwüchsiger Lebenselemente vom Lande verlangsamt wird und wie selbst die ländlichen Arbeiter, trotz freier Luft und des unter ihnen so allmächtig waltenden principle of natural selection , das nur die kräftigsten Individuen aufkommen läßt, schon abzuleben beginnen.(112) Das Kapital, das so "gute Gründe" hat, die Leiden der es umgebenden Arbeitergeneration zu leugnen, wird in seiner praktischen Bewegung durch die Aussicht auf zukünftige Verfaulung der Menschheit und schließlich doch unaufhaltsame Entvölkerung so wenig und so viel bestimmt als durch den möglichen Fall der Erde in die Sonne. In jeder Aktienschwindelei weiß jeder, daß das Unwetter einmal einschlagen muß, aber jeder hofft, daß es das Haupt seines Nächsten trifft, nachdem er selbst den Goldregen aufgefangen und in Sicherheit gebracht hat. {Après moi le déluge!} ist der Wahlruf jedes Kapitalisten und jeder {{Kapitalistennation.}} Das Kapital ist daher rücksichtslos gegen Gesundheit und Lebensdauer des Arbeiters, wo es nicht durch die Gesellschaft zur Rücksicht gezwungen wird.(113) Der <286> Klage über physische und geistige Verkümmrung, vorzeitigen Tod, Tortur der Überarbeit, antwortet es: Sollte diese Qual uns quälen, da sie unsre Lust (den Profit) vermehrt? Im großen und ganzen {hängt dies aber auch nicht vom guten oder bösen Willen des einzelnen Kapitalisten ab. } {Die freie Konkurrenz macht die immanenten Gesetze der kapitalistischen Produktion dem einzelnen Kapitalisten gegenüber als äußerliches Zwangsgesetz geltend.}(114) K1<284-286>

->E015 代理人の解放
->E014 代理人の意志 と 社会による顧慮の強制


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