スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

7月, 2010の投稿を表示しています

E044 本当の善意。 消費税というテーマは、みんなが 我慢するかどうか という問題ではない

◆◆消費税というテーマは、  みんなが「我慢するかどうか」という問題ではない。    ということが、以前にましてよく見えてきたのはこの数日のことだ。 △ 「善意の我慢」をよいことにして、    自己の責務からのさらなる逃避を    声高に目指してきたものがある。 △ 「善意の我慢」は、当事者の我慢にとどまらない。    我慢の限界をとうに越えた人たちに、さらなる「善意の我慢」をおしつける。 問題は次のごとし。 ◆ 生きていくことが出来ないという、あきらかな大量の劇的な被害。    「自己責任」によって、大量につくられた200万円未満。     すでに、一月のうち数日の食費分を担税している。     あらたな5%はさらに数日分の糧(かて)をまきあげる。     まきあげられた糧の行き先は・・ ◆ この税の構造は、社会の経済基盤を破壊する。      陽光ふりそそぎ紺碧のエーゲ海を前にみる歴史ある国。     その破綻の教訓は、この点にこそいかされなければならぬ。     法人税を減じ、消費税を増やして破綻へと至った現代ギリシャ。      この国が、この教訓を世界に示すことによって、      ルネサンス(人間復興)を導いた古代ギリシャの役割を      再現するチャンスを得た     というのは皮肉にすぎるだろうか? ☆ 『鼻のほどおごめきて』、    ものしり顔で喧伝される「善意」と「理性」。    「善意」と「理性」が二重に踏みにじられ、コケにされる。   兼好法師は、    その人の虚言にはあらず。と助け船を少々。   しかし、    問題は徒然草の世界をこえた現実の課題。    「ここが我慢のしどころ」どころでもない。 くりかえそう。 ☆★ 鼻のほどおごめきて、したり顔で持ち出された     エーゲ海の悲劇の教訓は、      そのまま、    新旧喧伝者とその亜流の物知り顔に向かってきびすを返す。 →T046 なにものにもとらわれない新しい日本人の誕生の間際 *横道  きびすをかえす。   ひきかえす。あともどり。Uターン。   進行方向を180度変更する。反転。    この「反転」は意思を感じさせる。反転して向き合うという意思。       ただの方向転換ではない。 反撃?        "悲劇の教訓"そのものが意思をもつはずもないが...